2004年02月09日
 ケン・システムコンサルティング株式会社
技術サポート部 本村 智之

1990年代前半から後半までの間は、部分最適化がシステム開発の主流となり企業内の業務別あるいは組織別にクライアント/サーバ型(以下、C/S型)のシステムが導入されていた時代です。

この期間、当社は分析設計ツールXupperを販売・サポートしてきた関係上様々な企業でのシステム開発の動向を知ることができました。その経験から感じるのは、業務別(組織別)のC/S型システムでもデータの重要性が認識されていたということと、Xupperも含めた支援ツールの普及に伴いデータモデリングの技術が浸透してきたということです。1990年代初頭には、まだDOAというコトバに対して違和感を持つ人も少なくありませんでしたが、1990年代半ばには「システム開発にDOAを適用する」ということが当然のこととして受け入れられるようになりました。

反面、データ総研の椿会長が「DOA氷河期」と表現したようにデータモデルの図面さえ描いていればDOAを適用していると錯覚され、ともすればデータモデリングツールがデータ定義文生成ツールに成り下がるという弊害を招いた面も否定はできません。また、全体最適の重要性が頭では理解されていても現実に企業全体のデータモデリングに取り組める企業は少なく全社レベルのデータ管理者が育成されなかったというのも実態でしょう。業務別(組織別)のC/S型システムの台頭が、結果的にDOAが単なるアプリケーション毎のDB設計手法であるかのような認識を広めてしまったかもしれません。

しかし、私はこの間にDOAが確実に普及・浸透してきた面を評価したいと思います。物事には、たいてい光と影があるものです。部分最適化を図るシステム開発は企業内に「孤島システム」を生み出しし、システム間連携の複雑さが保守・運用担当者と利用部門の業務担当者に押し付けられました。データを全社レベルで捉えるという視点が棚上げされた結果です。これは影の面です。対する光の面は、データを重視したシステム開発が広く普及したことでしょう。すなわち、DOAの名称が認知され、まがりなりにもデータモデリングを経験した人の数が増加し裾野が広がったということです。例えるなら、高い山は裾野が広いものです。DOAという山が高いためには、熟練したDOA技術者が多数存在するだけではなくその数倍(あるいは数十倍)にあたるDOAというコトバを知っている人・データモデリングを経験したことがある人が存在しなければなりません。

物や手法が普及する際には、下記のような段階が繰り返され広がっていくものと私は考えます。

(1)名称を知っている段階
(2)実際に利用(適用)経験があり、基本的な概念を理解している段階
(3)利用(適用)に熟練し、他者に説明できる程概念を理解している段階
(4)積極的に他者へ利用(適用)を勧め、他者を指導できる段階

現状は(1)・(2)の段階で止まっている人が多く、裾野が広いわりに山が高くないというのが問題でしょう。しかし、最近はEA(EnterpriseArchitecture)に取り組む企業が増えていますし、EAという言葉を使わなかったとしてもシステム統合が話題に上がります。システムを見る視点が、部分最適から全体最適へ移ってきているわけです。当然、これには全社レベルのデータ管理・データモデリングが要求されます。こうした状況を鑑みると、DOAには椿会長の言う「広範囲なデータ流通」を実現するために重要な役割を担うことが期待されると考えて良いと思います。

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